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闇落ち看護師ママから現在の私へと
人生が変わるきっかけとなった
小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座、募集開始しました。

「小田桐あさぎ魅力覚醒講座online」が気になるかたは、
こちらのフォームから、お申し込みください。


初めまして。
億女の裏方、こころんです。

現在はインドネシアのバリ在住。
ハウスキーパーさんに、
料理、掃除をはじめとする家事をお任せし、
仕事をしたり、
仲間と飲みながら語り合ったり、
子どもたちとプールで泳いだりする生活を送っています。

「推しの参謀養成講座」
「魅力覚醒講座 The Shift」などを主宰して
信頼できる仲間や友人たちが
倍増どころじゃない、
5倍以上増えて
毎日が充実!

というわけでいまでこそ旅行にいったり、
子どもたちと楽しく過ごしたり、
パソコンひとつで仕事をして、
看護師時代より年収も増え
自由な生活を送っていますが…ほんの2年くらい前までは、
どこにでもいる夜勤ありのフルタイム看護師でした。

闇落ちからの大変化

むしろ、転職7回の社会不適合者。
3人子どもがいるのに家事も育児も苦手。
「できない」「ムリ」と言えず、
残業もPTAもやりたくないのにやるハメになる
不器用人生を生きてきました。

いや、そもそも、自分のことを不器用だと思っておらず、
真面目な優等生だと思い込んでいました。だから、ボロが出ないように、
いつも周りを敵認定。

「少しでも本音を話したら弱みを握られてしまうのでは?」と
その気分じゃないときもニコニコして、
嫌な仕事も引き受けて、
自分のことは一切話さずやり過ごしていました。

そんな拗らせ人生のあげく
どっぷり闇落ち

「今が人生で一番楽しい!幸せ!!」と思えるようになった
変化を綴っていきます。

簡単に言うと、

と、こんな感じに変化しました。

今でこそこんな自由になった私ですが
ほんの2、3年前まで人生の闇に落ちていました。

闇堕ちしていた時の動画がこちら

「理想の母」になれない私

私は福岡県出身で、
公務員の父と専業主婦の母のもと、
3人兄弟の長女として育ちました。

母は料理洗濯、掃除に近所付き合いと
子供の私からみてパーフェクトなお母さんでした。

そんな母をみて育った私は、
「私もお母さんと同じ歳で出産する!
 子どもは3人ほしい!お母さんみたいな母親になる!!」

ずっと心に誓っていました。

念願かなって母が私を産んだ年齢と同じ27歳で長女を出産。
「これでお母さんのような母親になれる!」
理想の人生のスタートラインに立てたことを喜んでいました。

けれど、私は母のように上手にやれませんでした。

産後うつになり、
泣き止まない子どもと一緒に泣いてしまったり、
自分は一日中子どもと一緒にいないとならないのに
仕事で外に出て行く旦那さんにイライラしたり。

終日家にいるのに、夕飯の準備もできない自分が情けなく、
家にいることが憂鬱になり、
産後7ヶ月で保育園へ預け、働き始めました。

一人目の子育ててそこまで疲弊していたにも関わらず
「子どもは3人」と勝手に自分に呪いをかけ、
2歳差、3歳差で長男、次男を出産しました。

長女を自転車の後ろにのせ、
長男を前かごにのせ、
次男はおんぶして、
保育園のバッグをハンドルにひっかけ、
自転車4人乗りで毎朝疾走していました。

家事、育児が苦手なのに、
「ちゃんとお母さんをやらなきゃ!!」
必死に頑張っていました。

「栄養バランスもちゃんと考えて
好き嫌いなく食べさせなきゃ!」と、
子どもが嫌いと言っても食べるまで待ってイライラ

苦手な掃除を頑張っているのに
子どもたちがすぐに散らかすのでイライラ

洗濯しても洗濯しても
汚れものの山で
終わりのない洗濯にイライラ特にうちの子は発達障害・学習障害もあり、
保育園や学校からの呼び出しや、
友達関係のトラブルなども多く、
「お母さんの役割」は完全に自分のキャパシティをオーバーしていました。

「私の愛情不足?」不登校・ディスレクシア発覚で始まった、終わりのない自己責任論

末っ子の小学校の入学式が終わり、
保育園の送り迎えがなくなり
少しずつ手が離れたと思いきや、
不登校という大きな壁にぶち当たりました。

「学校なんて行けばいいだけなのになんで行かないの?」

担任の先生と面談でわかったのは
文字の読み書きが苦手とのこと。

「お母さんの愛情が足りないのかもしれません」
「読み聞かせの量が少ないんじゃないですか?」

「あ、愛情ですか…」

その頃は夫の単身赴任が重なりワンオペ育児。

仕事も忙しいし、確かに愛情不足なのかもしれない。

私のせいで読み書きで苦労してるのか…
私のせいで学校に行きたくないのか…
と、自分責めが始まりました。

子どもが不登校になり、仕事には遅刻し、職場からは冷たい視線。

「サボってるわけでもないのに!精一杯頑張っているのに!」

誰に泣き言が言えるわけでもなく、
一人で抱え込み、
職場にも迷惑をかけていると自分責めが加速。

「子どもがいても仕事がしたいなんて、わがままなのかな?」

ひらがなが全く読めない子どもたちに不安を感じ、
支援教室に相談してみると
ディスレクシア(読み書き障害)という学習障害が見つかりました。

あなた達のためにこんなに頑張ってるのに…と
イライラの矛先は子ども達に。

あなたが学校に行かないせいで私は仕事に遅刻するの!
あなたのせいでこんなに苦しいの!

【なんのために子育てしてるんだろう?】

そんなことを考えてしまう自分に対しても
「なんでみんなみたいにうまくやれないんだろう…」と
自分のことがどんどん嫌いになり、

【なんのために生きてるんだろう?】

見えない答えを探して彷徨っていました。

39歳、コロナ禍で看護師になった私

転職歴が多い上、子育て中という理由で自宅の近所で仕事を探し、
お給料の上がらない契約社員や非常勤職員として働いていました。

転職するたびに下がる基本給に
「このままじゃ、子供の学費は、私の老後はどうなるんだろう…」と
いつもお金の不安を感じていました。

そこで一念発起し、
「国家資格をとって正社員になる!!」と
35歳から看護学校に通いました。

3年間のハードな学校生活を終え、
やっと看護師になれたのは39歳。

公務員系の総合病院に就職したのはコロナが始まった直後でした。

非常事態宣言が発令されたなか
小学校は休校、保育園は自主登園なのに
看護師は出勤する必要があるので、
子ども達だけを家に残して出勤することに。

こんな状況に、
「お母さんとしてこれでいいの?」と不安を感じていました。

けれど、看護師1年目の分際でそんなことを口にできるわけはなく、

職場の先輩方の顔色を見ながら
すすんで残業し、
帰宅後は家事育児に追われ、
その後は寝る間も惜しんで看護の勉強をして、

ふらふらになりながら出勤していました。

それでも「やっと念願の看護師になれた!」という思いだけで突き進んでいました。

定年後が楽しみだね、と呪文のように唱えた日々

夫との合言葉は
「定年後が楽しみだね」

海外旅行に行ったり
美味しいものをたべたり
定年後にゆっくり過ごそうね!

と、辛い毎日から目を背け
呪文のように唱えていました。

「定年後が楽しみ」
それだけを胸に
毎日ふらふらになりながら
出勤していました。

60歳まであと20年。

職場の先輩たちは50代後半でも夜勤をしていて、あと20年、この仕事このまま続けられるの?と
漠然とした不安に襲われました。

自分責めをしていた私を変えた出会い

私はただ、誰かに必要とされ役に立てる仕事がしたかっただけ。

安い給料でこき使われるのではなく、
私だからできる仕事、
役に立てる仕事、
感謝される仕事がしたかっただけ。

看護師の仕事は充実していましたが、
それ以上にプレッシャーの大きい仕事で、

39歳で物覚えも悪くなる中、
3人の子育てをしながら
新人看護師としてやっていくのはかなりハードでした。

そんな中、夫の単身赴任と子どもの不登校が重なり
私は闇に堕ちていきました。

「私のせいだ。私がちゃんとできないから」

冗談みたいな話ですが、
世の中の不幸は全部自分で背負わなければいけないような気持ちになっていました。

通勤中、自転車を漕ぎながら
声を出して泣いたり、
食欲もなく、夜も眠れなくなり、

「あ、これもしかしてちょっとやばいかも」と感じた時には
職場の上司から心療内科の受診を勧められました。

そこから子どもの学習障害がみつかり、
看護師と育児の両立が難しくなり、
結果、正職員としての看護師は退職。時々単発でバイトをしながら食いつなぐ生活。
自分責め、罪悪感、後悔、
私さえしっかりしていたら…
私さえちゃんとできていたら…

適応障害と診断され、
世の中の何もかもがイヤになっていた時。

そんな時に小田桐あさぎさんと出会いました。

私が「魅力覚醒講座」に飛び込んだ理由

さかのぼること4年前
小田桐あさぎさんの著書「嫌なこと全部やめたらすごかった」と出会っていた私。

「嫌なことやめるって言って、やめられるなら世の中の人みんないやなことやってないよ」
「こんな子育ての仕方してたら、ろくな大人にならないね」
「こういう特別なことができる人もいるもんだ」と、

本の内容に衝撃を受けたものの、
自分とは別次元の人の話、
フィクションだと思っていました。

なのに、なぜか
その本は処分せず
そっと本棚の奥にしまい込んだ私。

その後、「小田桐あさぎ」というワードと再会したのは2022年6月でした。

たまたま目にしたインスタライブで小田桐あさぎさんを目撃。

どっかで見たことある人だな…と思っていたら
「あ!この人の本持ってる!」と突如思い出して、驚きました。

当時は何をしている人かよく分かってなかったけれど、
インスタライブに映るあさぎさんは
ブランドものをまとい
ドバイ在住の億を稼ぐ起業家になっていました。

この4年。
私は看護師になり、闇堕ちし、適応障害になってた4年間。

同じ時期に、あさぎさんは億を稼いでこんなキラキラした生活をしていて、

この人の4年間に何があった??と一気に興味を持つようになりました。

そこからあさぎさんのインスタをフォローし、
ちゃん卒ライブというFacebookグループに登録し、
あさぎさんの発信に釘付けになっていきました。

「なんだこの人?」
「やっぱりめっちゃ面白い」
「意外と言ってることは正論」
「もしかして根は真面目?」

と、小田桐あさぎさんのギラギラした側面じゃない部分がチラチラ見え始めた時に

「魅力覚醒講座17期」の募集が始まりました。

「え?あさぎさんからがっつり学べるの?」
「魅力覚醒ってなに?」
「自分の欲望ってなんだ??」

そんな???が色々浮かんだ状態でしたが、「自分の人生このまま終わるなんていやだ!!」
「この4年間でのあさぎさんの変化に自分も乗っかりたい!!」
と不安よりわくわくする期待感が勝ち講座受講をきめました。

私が最後に手に入れた「自分を信頼する」生き方

講座は始まったものの、
最初はコミュニティの空気に馴染めず、
沈黙を貫き通しました。

講座のルールで「みんなにタメ口」というのがあり
それが私にとっては最初の関門でした。

自分に自信のなかった私は
敬語と謙遜語で生きてきましたし、

「初対面の人にタメ口ってどうしたらいいかわからない…」と
なんか合わないのかなあ…と思いつつ時間が過ぎていきました。

そんなとき、魅力覚醒講座OGの方とお会いする機会があり、
その人から

「タメ口はルールだけど、それは本質じゃないから。
 タメ口で声かけられないなら敬語でもなんでもいいんだよ。
 自分がやりたいようにやっていいんだよ」

と言われたとき、
「え?ルール守らなくていいの?」と
いままで自分がいかに周りの顔色を伺って
ルールに縛られた生き方をしていたのかと実感しました。

そこからコミュニティのメンバーに少しずつなじみ、少しずつアウトプットできるようになり、徐々に交流できるようになりました。

オンラインで顔出しすることにも抵抗のあった私は
周りを敵認定して「本音は話さない。弱みを見せたら負け」
と思っていました。

けれど、講座が回を追うごとに

「あれ?私も本音で話していいのかな?
もしかしてここには敵はいないのかも?」

と、少しずつ周りを信頼できるようになってきました。

そして、講座のワークを通して少しずつ「自分」と向き合ってきました。

本当は心から信頼できる人と繋がりたい。
本当は家族と笑顔で過ごしたい。
本当は子どものことが大好き。
本当は無理したくない。
本当は海外旅行に行きたい。
本当は家事をしたくない。

ずっと押し殺していた「本当は」という自分の声に気づけるようになってきました。

そんな自分の本当の声に気づいて、
家族や周りの人に本音で話すようになったら

周りの人が
「そうなんだ!いいんじゃない?」
「そうだと思ってた!」

と、ありのままの自分を受け入れてくれることに気がつきました。

あさぎさんがよく「全部いいんだよ」と言うのですが
最初はその意味がよくわからなかったんです。

けれど、少しずつ自分の感じた気持ちを「全部いいんだ」と受け入れられるようになってきました。

一歩ずつ確実に自分を信頼して
周りを信頼できるようになってきました。

そして、いまは

心から信頼できる人と繋がり
家族と笑顔で過ごし
子どもたちが可愛くてしかたがない
できないことは他のかたにお任せし
バリに住み、日本と往復し、
家事はハウスキーパーにやってもらう

そんな生活になりました。これでもまだまだ道半ばだと思っています。
もっともっと自分らしく
自分に素直に生きていきたいと
これからの自分の人生が楽しみでしかたありません。

あなたの人生も変える講座がスタート!

闇落ち看護師ママから現在の私へと
人生が変わるきっかけとなった
小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座、募集開始しました。

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