SNSの投稿を見て、「怪しい」と感じたことはありませんか?
携帯は、友達や連絡にLINEしか使っていなかった時からすると、LINEにも広告が流れてくるようになったし、Facebookやインスタ、X、Threads…どんどん情報が流れてくるところが増えてきて、自分に必要ではないはずの情報や広告にもつい目がいってしまいがちです。
そこに、「〇〇するだけで、人生激変!」とか「私は〇〇を受講して人生が激変しました」とか書かれていようもんなら、頭の中で警報が鳴り響きますよね。「そんなわけない。怪しすぎる」と。
「怪しい」とは?
でも、なんで「怪しい」と思うんでしょう?
騙されそうだから?
自分が知らない未知の世界のことだから?
人生なんて、そんな簡単に激変しないよ、と思っているから?
私は、「本当」と「怪しい」の間には、一本の線があると思っています。
人によっては、超細い線かもしれないし、太い線かもしれない…
「境界線」
人生が激変する瞬間
・今まで常識だと思っていたこと(認識)
・今まで所属していた集団(人)
・当たり前だと思っていた自分の安全地帯(場所)
人は、この境界線を越える、一歩が必ずあると思うのです。
この境界線を越える越境チャレンジャ―は、それを超えていない人、つまり外から見ると、どうしても「怪しく」見えてしまうのです。
では、「激変」して、望む姿になれるかもしれないのに、なんで皆チャレンジしないんでしょう?
それは、
「失敗したくない」から
「変な人扱いされたくない」からではないでしょうか?
人生が激変するものは「多くの人に検証や認知されていない」ものであることが多いです。
例えば、素晴らしいアイディアがあって、これすごい!行けそうじゃない?とひらめいても、最初は「〇〇〇人に検証しました!」というデータもなければ、社会的に認知も承認もされていないことが多いです。
ましてや、「〇〇さんが言っているから」という肩書もないものだと、見向きもされません。
要は「怪しい」ものたちは、「再現性がなさそう」「うさんくさそう」「いいな~、と言われなさそう」なのです。
でもね、
インタ-ネットだって、スマホだって、オンラインサ-ビスなどの副業だって、
最初はみんな「怪しい少数派」だったはずです。
「人生激変」は「自己責任」
そして、もう一つ、「怪しい」からチャレンジしない要因は
「人生激変」は「自己責任」だから、だと思うのです。
「怪しい」という言葉は、「不審」「不気味で不可解」「よくない方向にむかいそう(雲行きが怪しい…などで使いますよね)」という意味があります。
つまり、それを「怪しくない」に変えるためには「自分で証明」したり「自分で怪しくないと判断」しなくてはならないわけです。
さらに、それが自分の中だけで「怪しくない」になっても、人に「怪しくない」と分かってもらうには、相手にも「境界線」を超える越境者になってもらわないといけないのです。
だから、「怪しい」と言われることやものを必死で「安全」に見せようと努力をします。
悲しいかな、それが裏目にでて、さらに怪しくなったりもしてしまう時もありますが…。
歴史に出てくる偉人達にも、そんな人たち居た気がしませんか(笑)?
伝記とかになってる人たちって、だいたい最初は「怪しい」人扱いされている気がしています。
だって、安全なもの、つまり「怪しくないもの」は
・誰かがすでに検証したりして、保証してくれている
・失敗しても、言い訳ができる(「運が悪かったんだよ」とか慰めてもらえたりね。)
からです。
「人生が激変する」選択は「それ、やるかやらないか、あなた自身が決めるんだよ?OKかな?」と必ず耳元で呟いてきます。
多くの人は、この境界線あたりで彷徨って、ほとんどの人は引き返していると思います。
小田桐あさぎさんの「魅力覚醒講座」
「魅力覚醒講座」主宰の小田桐あさぎさんは、まさに「怪しさ」の塊のような人でした(笑)。
ピンクの髪、ドバイ在住、欲望全開、やりたくないことは全部やめたらいい、魅力覚醒….
何言ってるんだろう…正直、最初に会った時は私もそう思いました。
そんなの簡単に出来るわけないじゃん、そんなの出来たら苦労してないし、あさぎさんだからできる特別なことでしょ?と。
あさぎさんの講座を受けていない人や、SNSで表面的な情報しか知らない人の多くは、多分、そう思っていると思います。
私もそう思っていました。本を読んでも尚、しつこくそう思っていました。
でも、あさぎさんの「魅了覚醒講座」は22期まで現在も続いていて、書籍のクラウドファンディングはいまだに個人歴代1位の成績、受講生であるアサギストは6600人を超えています。しかも、一度講座を受けた人が、継続して受講していることも多い。
その中からは、億女として活躍する起業家もたくさんいるし、私も人生変わったよ!と発信をしている人もたくさんいます。
なのに、なんでまだ尚、怪しいと思ってしまうんでしょう?
・そんな世界あるわけないと思い込んでいるから?
お金払って、講座うけたら、自分が激変できると思えないから?(認識)
・自分のまわりにアサギストがいないから?(人)
・SNSに慣れていないから?(場所)
私は、「怪しい」こととは、まだ、言語化されていない「価値」を扱っている証拠なんじゃない?かなと思います。
だれも定義ができていない、何も整理されていない、誰も足を踏みいれていない。
誰もが「あ、それ知ってる」とか「わかって当然」というものではないし、
手順や道順は検索しても簡単にでてこない、経験者に出会えたらラッキ-ぐらいの、少数の人しか知らないこと。
まだ誰もが知る形で言語化されていないし、不安定にも感じてしまう…。
でも、だからこそ、そこには「人生が動く余白」があると思うのです。
「人生が動く余白」とは、可能性の探検とも言えるのかもしれません。
誰もが知っているところに行き、決まったコースを体験するのは、「レジャー」です。計画もしやすく、安心ですが、そこに大きな変化はありません。
対して、「探検」は自分で調べて、考えて、チャレンジして、確認して、またやってみる。そんな試行錯誤の繰り返しです。
がちがちに余白のない自分の時では、その「価値」は受け取りにくいかもしれません。
「忙しいし、そんな「余白」とかないし」と思うかもしれません。
でも、あなたが「怪しい」と感じているものの中に、「気になる」「それって、本当はどうなんだろう…?誰かやってる人いないかな…?」とか
思うものはないですか?
そう、今頭に思い浮かんだそれのことです。その好奇心こそが、あなたの人生に「余白」を作り出す一歩目になるのです。
それこそが、あなたの「人生が激変」する「入口」かもしれません.。
そこを覗きにいき、越境するには、ちょっと勇気がいります。
だって、「怪しい」最初の一歩ですから(笑)
実は、私も、簡単に越境できたわけじゃないのです。
最初に小田桐あさぎさんの本を読んで、魅力覚醒講座に入るまで、なんと5年もかかりました。
でも、自分一人では境界線を超えられなかったのです。
超えるどころか、線はどんどん太く、強固になっていくのに、自分では線が見えませんでした。
「魅力覚醒講座」は境界線を気づかせてくれるだけではなく、境界線でうろうろと同じようにしていた仲間たちと、いつの間にか線をこえていたり、
先に線を越えた先輩たちが「こっちの線のほうが超えやすくない?」とか「私こうやって超えたよ?」を導いてくれたりもしました。
これはただの座学じゃなかった…。講座ってつくけど「講座」じゃない!最高の環境と、切磋琢磨し合える仲間。すべてが揃って初めて見えてくる、「境界線を越えた人だけが共有できる景色」がそこにはありました。
人が何と言おうと、怪しくても、あなた自身が「境界線」を超えないと、
次の世界へ「Shift」はできないのです。
「境界線」の向こう側に立つ人は常に怪しく見えるかもしれないけど、
「怪しい」と「人生激変」はセットかもしれない!と思って、思い出してみてくだ下さいね。
境界線の向こう側で、お待ちしています。

